昭和45年10月17日 夜の御理解
この道は喜びで開けた道だから、喜びでは苦労はさせんと。ね、私共がほんとに喜ばねばならない事実というのは、広大もないおかげを頂いておる事実と言うことをほんとに分かったら、私共の周囲には、もう御礼を申し上げねばならないことばっかりですよね。いつも私が申しますように、ほんとに御生かしのおかげを頂いておると言うことなんかも大変な事なのです。実を言うたら。
ところがなかなか信心が分かりませんとその、その事が感謝とか喜びになって生まれて参りません。けども私は、いつも申しますように、あのいわゆる大小便でも、ほんとにあの気持ちよう出さして頂くということは、こげな有り難い事はないです。今日先ほどあの親教会から電話がかかりましてから、親先生が休んでおられるからと言う電話でしたから、私すぐ今久富さんと二人、とる物もとりあえず、それこそまあ、お見舞いということじゃなく、どんな風になさっておられるか見に参りましたんですけれど、おかげでその別にこうきつい風でもないし。
けれども自分、お話聞きよりましたら、大体二、三日前に、その一晩中ですね、大小便が出らずに一晩中苦しまれたそうです。もう例えばね、便所に行きたいとば我慢しとるだけでも大変でしょうが、みなさん。それが出らないというのじゃけんあなた、それでもう夜の明けるのを待って、医者に行かれてですね、その掻き出されたり、なんかをつっこんでから尿をとられたりなさったそうです。ところがあんまりそのひどかったもんですから、こんどは痔まで痛みだしてしもうた。
それから今は痔の方で苦しんでおられると言うような感じです。けども(?)とおっしゃるけれども、はあほんとにここの大祭もさることながら、親教会の自分が教会長としての大祭、小倉の教会、いろんな大役を承っておられますでしょう。だからもうそれは気は焦っておられますと思いますけれども、もうとにかくもう体があってからのものだねですから、もう静養なさる、もうとにかくどうかなりますが大祭は。だからもうしっかりまあ、今度はこの際ご養生して下さいちいうてから、帰って参りましたけれども。
それを聞かせて頂いて、私がいつも言うようにですたい、もう大小便でもいけれるという事は、当たり前の事じゃないです。私はほんとそれを思うです。とてもほんにこれがもう行きたいばってん、行かれんならどけんあるじゃろかと思うてですね。だから私共の周囲には喜ぼと思うなら、喜ばにゃならんことがたくさん実はあるということ。だからそれをほんとに喜ぶことを稽古するということだけでも、信心なんです。
ですからその喜びにね、おかげがともなうてくる。喜びで開けた道じゃから、喜びでは苦労はさせんと仰るくらいですから。ね、愈々本気でいわゆるおかげを頂いているという事実、御願いをしたことがこうなったと。例えば今日あの、久留米の佐田さんが丁度、しかしほんと厳しいと思うですね。あれだけ一家中で、あげて朝参りをなさらないことがないですわね。例えば用事の、おられんかなんかという事に限り。
今日だけはね、やはり疲れなさったなんかで、お参りができなかった。だから昼参ってみえて、帰られるときに久富さんも久留米さ行かれるからと言うので、久富さんの車に乗って帰られておったときに、いわば事故を起こしておる。こちらの方はなんでもないけれども、こうドアを開けようとしたときに単車がぼうっときた。単車の方がひっくり返えられてですね。
ま大変な出血をされたそうですから、だからびっくりされた。ほんなもう外科医の病院の前じゃったそうです。だからすぐしてね、まあところが血は大変出とったけれども、まあ二針ばかり縫えばよいという位な事だったらしいです。もうその事がね、もう主人がほんなお前はほんなこと馬鹿じゃなかろかと主人がいいますち。もうそれかもう有り難うして有り難うして、親先生、もうとにかくもうなるほど思えば思うほどもうおかげの事実というものがね、ここ出てきたわけですよ。
それでま、取り合えず御礼に出らせて頂きましたと言うて、丁度四時の御祈念でしたから、一緒に御祈念させして頂きました。なるほどそしたらね、自分がよろよろとして転ばれたら、起きるときにもう両方に持ちきらんごたるお土産と言うてから、こうお土産を下さったお知らせだったそうですよ。ですから、ほんというたら例えばほんとに事故が事故におうたとか、合ったというたというようなことでも、ほんというたらこげん喜ばせて頂けれる程しのおかげを日頃頂いとかんやいかんとですよ。
あぁあちゅうごとあることじゃ、結局あぁあになってしまう。もうそこはね、もう問題はず抜けちゃるけん、この人の話をしたっちゃほんな事とは思われんくらいです。これはほんとにあの私どもがそうでした。もうほんなこつですか、こんな苦しい中にこげな喜びが湧くとかと言われるくらいでした。けども稽古です。ね、ですから、そういう事はま、出来んに致しましてもですよ、
けれどもほんとに喜ばなければならないという事実と言うのをふんまえて、私共は喜ばせて頂く稽古をね、本気でさせて頂かにゃならない。ま今日はいっちょ、どうでんこうでん、親先生のそのご病気に、あやからせて頂いてですね、大小便がもう出るならそうに喜ばにゃいかんですよ。この事柄だけでもね、本気で御礼を申させて頂いて、喜びで開けた道じゃからとおっしゃるからよろこばせてもろて、喜びの道に出らしてもらい、喜びのおかげをひとつ頂きたいもんですね。
どうぞ。